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『歯車』(はぐるま)は、『玄鶴山房』、『蜃気楼』、『河童』、『或阿呆の一生』と並ぶ芥川、晩年の代表作です。
生前に第一章が雑誌「大調和」に発表され、残りは遺稿として発見されました。
遺稿策の中では唯一の純粋な小説です。
僕は或知り人の結婚披露式につらなる為に鞄を一つ下げたまま、
東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。
自動車の走る道の両がわは大抵松ばかり茂っていた。上り列車に間に合うかどうかは可也怪しいのに違いなかった。
自動車には丁度僕の外に或理髪店の主人も乗り合せていた。
彼は棗のようにまるまると肥った、短い顋髯の持ち主だった。僕は時間を気にしながら、時々彼と話をした。
「妙なこともありますね。ララさんの屋敷には昼間でも幽霊が出るって云うんですが」
「昼間でもね」
僕は冬の西日の当った向うの松山を眺めながら、善い加減に調子を合せていた。
「尤も天気の善い日には出ないそうです。一番多いのは雨のふる日だって云うんですが」
「雨の降る日に濡れに来るんじゃないか?」
「御常談で。しかしレエン・コオトを着た幽霊だって云うんです」
自動車はラッパを鳴らしながら、或停車場へ横着けになった。
僕は或理髪店の主人に別れ、停車場の中へはいって行った。すると果して上り列車は二三分前に出たばかりだった。
待合室のベンチにはレエン・コオトを着た男が一人ぼんやり外を眺めていた。僕は今聞いたばかりの幽霊の話を思い出した。が、ちょっと苦笑したぎり、
とにかく次の列車を待つ為に停車場前のカッフェへはいることにした