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【電子版では、紙の雑誌と一部内容が異なる場合、掲載されないページや特別付録が含まれない場合がございます】
【巻頭特集】
星となった鉄十字の槍騎兵
メッサーシュミットBf109
新生ドイツ空軍が1934年に提示した新型戦闘機競争試作に対し、メッサーシュミット社は小型軽量の機体に強力なエンジンを搭載し、一撃離脱戦法を得意とするBf109で応える。1936年にはBf109の採用が決定、次期主力戦闘機として量産が始まった。
Bf109は同年に勃発したスペイン内戦に早速投入され、その優れた性能が証明された。そして1939年9月からの第二次世界大戦でも、Bf109E型がポーランド攻略、西方戦役で空軍の主力戦闘機として活躍。1940年夏のバトル・オブ・ブリテンでは宿敵スピットファイアと死闘を演じた。続く北アフリカ戦、バルバロッサ作戦ではBf109F型が投入され、米英ソの戦闘機相手に優位に戦いを進める。
1941年秋からは決定版のBf109G型が登場するが、1943年に入ると連合軍の新型戦闘機に対して苦戦を免れなくなってきた。しかし、本来大戦後半には登場せねばならない後継機の開発が失敗したため、Bf109は老骨に鞭打って進化を続け、究極のBf109であるK型まで登場し、1945年春の終戦まで第一線で戦い続けたのである。ガランド、メルダース、マルセイユ、ハルトマン、バルクホルン、ラルなどBf109を駆った伝説的エースも数多く存在し、おそらく世界戦史上もっとも多くの敵機を撃墜した戦闘機といえるだろう。
本特集では、戦闘機としては史上最多の約33,000機以上が生産され、ドイツ空軍の象徴のみならず、WWⅡ戦闘機を代表する機体であるBf109を、メカニズム、戦歴、生産型、開発経緯、編制・戦術、人物、塗装図など多角的に分析していく。
[第二特集]
帝国陸軍戦車部隊の発展期を支えた"鉄牛"
八九式中戦車イ号
アメリカ陸軍は1934年には初の本格的国産軽戦車であるT2を開発。そのT2のサスペンションをVVSSとしたのがM2A1で、それを元に双銃塔式としたM2A2が開発された。続いて装甲を強化したM2A3が登場し、双銃塔を廃し単砲塔に50口径37㎜砲を搭載したM2A4も開発された。
そして1939年、M2A4をさらに強化した新型戦車が開発されることとなった。この軽戦車は13トンの小型な車体に長砲身37㎜砲を装備、車体前面上部の装甲厚は38㎜と当時としては厚く、最大速度は58km/hを発揮。1940年7月にM3軽戦車として制式化され、1941年3月から量産が開始された。
続いて、M3を元に新型エンジンを搭載し、傾斜装甲を取り入れた溶接構造の車体を持つ新型、M5軽戦車が開発され、1942年から生産が開始された。
M3/M5軽戦車は合わせて2万輌以上が生産され、アメリカ軍のみならず、イギリス、ソ連など同盟国へ供与された。そして軽戦車としては高い攻防力、優れた機動力、さらに信頼性・実用性の高さが評価され、大戦前半~中盤の米英連合軍の主力軽戦車として活躍。英連邦軍では「スチュアート」と命名され、さらに現場では「ハニー」と呼ばれて愛用された。さらにM3を鹵獲した日本軍も優れた戦車として運用。戦後も各地の紛争などで使用されており、戦史に残る傑作軽戦車といえるだろう。
この特集では大戦を通じて大きな存在感を見せたM3/M5スチュアートを、様々な面から考察していこう。
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【巻頭特集】
星となった鉄十字の槍騎兵
メッサーシュミットBf109
新生ドイツ空軍が1934年に提示した新型戦闘機競争試作に対し、メッサーシュミット社は小型軽量の機体に強力なエンジンを搭載し、一撃離脱戦法を得意とするBf109で応える。1936年にはBf109の採用が決定、次期主力戦闘機として量産が始まった。
Bf109は同年に勃発したスペイン内戦に早速投入され、その優れた性能が証明された。そして1939年9月からの第二次世界大戦でも、Bf109E型がポーランド攻略、西方戦役で空軍の主力戦闘機として活躍。1940年夏のバトル・オブ・ブリテンでは宿敵スピットファイアと死闘を演じた。続く北アフリカ戦、バルバロッサ作戦ではBf109F型が投入され、米英ソの戦闘機相手に優位に戦いを進める。
1941年秋からは決定版のBf109G型が登場するが、1943年に入ると連合軍の新型戦闘機に対して苦戦を免れなくなってきた。しかし、本来大戦後半には登場せねばならない後継機の開発が失敗したため、Bf109は老骨に鞭打って進化を続け、究極のBf109であるK型まで登場し、1945年春の終戦まで第一線で戦い続けたのである。ガランド、メルダース、マルセイユ、ハルトマン、バルクホルン、ラルなどBf109を駆った伝説的エースも数多く存在し、おそらく世界戦史上もっとも多くの敵機を撃墜した戦闘機といえるだろう。
本特集では、戦闘機としては史上最多の約33,000機以上が生産され、ドイツ空軍の象徴のみならず、WWⅡ戦闘機を代表する機体であるBf109を、メカニズム、戦歴、生産型、開発経緯、編制・戦術、人物、塗装図など多角的に分析していく。
[第二特集]
帝国陸軍戦車部隊の発展期を支えた"鉄牛"
八九式中戦車イ号
アメリカ陸軍は1934年には初の本格的国産軽戦車であるT2を開発。そのT2のサスペンションをVVSSとしたのがM2A1で、それを元に双銃塔式としたM2A2が開発された。続いて装甲を強化したM2A3が登場し、双銃塔を廃し単砲塔に50口径37㎜砲を搭載したM2A4も開発された。
そして1939年、M2A4をさらに強化した新型戦車が開発されることとなった。この軽戦車は13トンの小型な車体に長砲身37㎜砲を装備、車体前面上部の装甲厚は38㎜と当時としては厚く、最大速度は58km/hを発揮。1940年7月にM3軽戦車として制式化され、1941年3月から量産が開始された。
続いて、M3を元に新型エンジンを搭載し、傾斜装甲を取り入れた溶接構造の車体を持つ新型、M5軽戦車が開発され、1942年から生産が開始された。
M3/M5軽戦車は合わせて2万輌以上が生産され、アメリカ軍のみならず、イギリス、ソ連など同盟国へ供与された。そして軽戦車としては高い攻防力、優れた機動力、さらに信頼性・実用性の高さが評価され、大戦前半~中盤の米英連合軍の主力軽戦車として活躍。英連邦軍では「スチュアート」と命名され、さらに現場では「ハニー」と呼ばれて愛用された。さらにM3を鹵獲した日本軍も優れた戦車として運用。戦後も各地の紛争などで使用されており、戦史に残る傑作軽戦車といえるだろう。
この特集では大戦を通じて大きな存在感を見せたM3/M5スチュアートを、様々な面から考察していこう。